住職のブログ

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2011年 12月 7日 (水)

縁という橋


私達の生活の中で、自分自身または身近な人に幸運が舞い込んだ時などに、運がいいとか、棚ぼた(棚から牡丹餅の略・思いがけない幸運を得る事 大辞泉より)とか言います。
仮に、棚ぼたをそのまま訳すと、棚から落ちてきた牡丹餅を手に取る事ですが、いつ何処から落ちてくるか分からない牡丹餅をどう受け取るか、また受け取るタイミングが丁度いいかで受け取れるかどうかは判りません。落ちてくる場所、ナイスキャッチできるタイミング、そのすべてがそろわないと牡丹餅は手に取る事が出来ないのです。その為に自身がその場所まで動きタイミングを合わせる努力が必要、または、その努力をした結果が棚ぼたではないでしょうか。世に云う「運のいい人」「棚ぼたの人」とは、それだけ人の目に見えない努力をされた方だと思います。
韓国の映画『猟奇的な彼女』(私のとても好きな映画の一つです)の中でとても素晴らしい台詞「運命とは努力した人に偶然と云う橋を架けてくれる」とあります。その通りではないでしょうか。さらに私は、人生を一生懸命努力頑張った人に神仏が運命という縁(偶然)という橋をかけてくれるのだと思います。その上、縁(偶然)とは私達の目にそう見えるもそれは偶然ではなく必然ではないでしょうか。必死に努力頑張った人は必ず良い結果をいただけると思います。一時的にマイナスの結果が出ても、それはその先にある大きな結果を導く一時的なことではないのでしょうか。


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