2017年 10月 17日 (火)
どうやって荷物を・・・つづき
父も私に色々と話してくれてます。学生時代は寮生活で、寮長をしていました。寮母が留守の時勝手にカレーを作ったそうで、後日あんなことをするのは、「マエダ」しかいないと寮監寮母から呼び出され、コッピドク油を絞られたことがあったそうです。また、他の寮とヤクザではないが出入したとか、てつだいに行ったお寺の総代さんの娘さんに間違われ好きになられたとか、逸話の多い父のようでした。祖父からも色々な話をきいています。淡路のお寺に手伝いに行くと、とても喜んでグラスを片手に今しかないと真剣に話していました。先のアメリカ人の手紙、これらのブログを書いていて思い出しました。母達が住んでいた隣にアメリカ人の家族が住んでいたそうです。当時は敵国の悪人のようにいわれた方々に何か手を差し伸べたことがあったのでしょう。正に、情けは人の為ならずの通りですね。あの手紙のおかげで、普通持って帰ることが出来なかったものが持ち帰れて今お寺にあります。日蓮上人のお木造も大金(小ぶり)その他我が寺に来たかったのでしょう絶対に。手紙を頂いたアメリカ人に感謝です。その手紙は今はなく母が長い間持っていたそうですが今はありません。ところで、母は英語は話せませんでした。自分達の命を救ってくれた手紙とよく話してくれていました。
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