2017年 10月 5日 (木)
緑色の硯(2)
この硯の蓋の裏を見てみると『満州電信電話株式会社』と刻み込まれています。
わたしの母は終戦に、苦労の末、朝鮮より引き上げ舞鶴港に帰って来ました。朝鮮の本能寺別院の住職をしていた母の父親で、当寺の開基上田日生上人ほか、上田家・家族で生死の境目を歩いて現ソウルから命からがら陸路フサンへそして引き揚げ船で日本に帰ってきたそうです。
その時に、いくつかの品物を持って帰ったと聞きました。その中の一品がこの硯だったのでしょうか?
思うに、この硯は中国産の緑硯ではないかと思います。
しかし、なにゆえに父の手にあったのでしょうか?。祖父から父へ。母から父へ・・・。なぞです。
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