2010年 9月 12日 (日)
百日の説法 屁一つ
この言葉のはじめは、『東海道膝栗毛』で弥次さんが、喜多さんに言うセリフです。「長い間の修行も、わずかな事。しくじりや失敗で台無しになる。」という意味です。 (仏教いわく因縁辞典より)
私も小僧時代よく師匠に言われました。「どんなに立派な事を言っても、人前で屁をしてしまえば、すべて水の泡となってしまう。」「行動が伴わなければ言うな!。言うからにはしっかり行え!。」と、最初のうちは、皆さんの前で法話をしている時やお話の最中におならがでたら大変だと緊張した事がありました。(当たり前の事ですが、とんでもない勘違い)恥ずかしながらある事で、ほんの些細なことが原因で大変な事になってしまい、自分の言動に充分注意をはらわ無ければいけないと、小僧時代に経験した覚えがあります。なにによらず、経験して初めてその言葉の意味や重さがわかるといいます。大切なことは、その後の自分の行動だと思います。苦い経験を自分の肥やしにして、人として大きくなりたいものです。
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